交 錯
四番隊の書類は他隊より多い。
全隊員の身体データ。治療中の病人のカルテ。薬品、医療器具の帳簿。それらの日々増していく書類の整理は四番隊員の重要な仕事の一つである。一枚一枚が人の生命に関わるものなので、慎重に取り扱う。
四番隊次席の虎徹勇音もまた朝から書類整理に追われていた。働き者の彼女は背丈の二倍くらいありそうな棚の中の書類を、てきぱきと裁いていた。
これが終われば一段落。手が届くギリギリの高さにある書類を、えいっと引っ張る。すると束になっている帳簿の他に、ぱさりと白い封筒が足元に落ちてきた。拾ってみると宛名も裏も何も書いていない。何だろう。首をかしげながら中身を確かめようとした。
「…見当たらないと思ったら、仕事の書類に紛れていたんですね」
「隊長!」
卯ノ花がお盆に茶と菓子をのせて入ってくる。慌てて勇音が駆け寄ってお盆を受け取る。
「あの封筒は隊長の…?」
「えぇ。昔藍染から貰ったお手紙です。」
勇音は卯ノ花の口にした名前に盆を取り落としそうなった。
「あっ、藍染隊長から?」
「おかしい事はありませんよ。私と彼は学生時代にお付き合いしていましたから」
「えっ…えぇぇ!?」
目を白黒させながら、素っ頓狂な声をあげる。それから、はたっと自分のあげてしまった大声に赤面して「すいません」と謝る。
卯ノ花はクスッと笑って提案した。
「少し…昔話をしましょうか。ちょうどお茶の時間ですからね」
□ ■ □
付き合っていたと言っても、その期間は1ヶ月に満たない。
けれどそれは、どの月日より濃密な日々。お互いが血よりも濃い特別な絆で繋がった、精神の双子であると気づくには十分すぎた。
最初に声をかけてきたのは藍染で、付き合いませんかと言い出したのは卯ノ花だった。
同期で同じ教室で学んでいた藍染に、卯ノ花は出会った時から不思議なくらい惹かれていた。
惹かれたのは、年よりも遥に大人びた落ち着きだとか、品の良さ、成績が飛び抜けていたとかいった表面的な要素よりも、彼の発する一つ一つの言葉の方が大きい。
自分に対しだけでなく、彼と彼の友人と交わされる言葉が耳に入るたびに、゛あぁこの人と自分は似ているかもしれない゛と人知れず胸を弾ませた。
そして付き合った事によって「かもしれない」は確信に変わる。
私と彼はまるで同じだった。
特例で学生でありながら救護班を手伝う事を許されている卯ノ花は手早く雑用を片付けて、正門で待っているはずの藍染を探した。
正門の側で彼は片膝をついて、背たけの小さい子供と何事か喋っていた。藍染がこちらに気づいて手を振る。子供もこちらを向いた。警戒を露わにしたトゲトゲとした視線。栄養失調一歩手前のガリガリな体。すさんだ空気を身に纏った子供は卯ノ花が近寄っていくとばっと逃げるように去っていった。
「…新入生ですか?」
「うん。入ったばかりだってさ。72地区の出身らしいよ」
「72…」
やっぱりという思いで数字を復唱する。70番台の出身者が最近増えた気がする。過酷な状況で生き延びることに成功した人の生存能力の上昇を喜ぶべきか、死して尚苦痛の世界に投げ込まれる人間がいる理不尽さに唇を噛むべきか…
「行こうか」
軽い調子で藍染は誘う。卯ノ花は微笑し、彼の隣に並んだ。その微笑みは礼の代わりでありながら、2人だけの秘密の合図のようでもあった。
学舎の近くにある薬草園。そこは二人のお決まりの散歩コースだった。ここで二人はいつも飽くる事の無い議論を交わしていた。最近読んだ本のこと、今日の授業について、護廷十三番隊の組織としての問題点、四十六室の最近の裁判の結果について。魂尺界における深刻な経済格差について…
二人はいつも夢中で喋った。時間がいくらあっても足りなかった。
その楽しさは例えるなら、自分だけの鏡を眺める楽しさだった。
彼の言葉、彼の表情、彼の視線、彼の歩き方。彼の思考の経路は手に取るよりも容易くわかる。もし、それが私だったらと考えるだけで良かった。
あまりにも自分に近い着想、思考経路、指向性には興奮と供に空恐ろしさを覚える程だ。
恋愛という甘い幻想など軽く吹き飛ばされてしまいそうな強すぎる共震。すべてを忘れてしまいそうになる強烈な一体感。
あの頃
彼の言葉はすべて私のものであり
私の言葉はすべて彼のものであった。
「卯ノ花見てごらん。やっとあの桔梗が咲いたみたいだよ。君は楽しみにしていただろう?」
「ほんとう…綺麗な白。本当に珍しくて美しい…。あぁでも、良かった。これでちょうど救護班もきらしていた風邪薬を補給できるでしょう」
「そうだね」
周りの人間は絶対に気づかない。
恋人同士の具体的な接触は何一つ無く、手を握りあうことすらしない。傍目からは寄り添うだけの淡い関係にしかみえない二人。しかしその実は穏やかに交わされる他愛もない会話の水面下では、奪い奪われるような、激しいまぐわいが行われていた。
刹那的な肉体の行為より、ずっと深い結合。ともすれば離れられなくなってしまいそうな――
もう卯ノ花は気づいている。聡い彼もまた気づいているだろう。
この世にただ一人同じ人間を見つけて喜べる時間はあとわずかしかない。
背後からひたひたと、お互いの人生を狂わせてしまうような漠然とした予感が迫りつつある。
このまま一緒にいれば、周りを切り捨てて二人だけの完結した世界に迷い込んでしまう。
その中で二人はお互いを喰いつくすような狂った執着で傷つけあって、自滅する。それは最上に幸福で最高に不幸な道――。
けれど、どうやってもその道を歩める人間でない二人は
離れるしかないのだ。
唐突に自分の名前を読んで静かに見つめる藍染に、卯ノ花は別離の時が近いことを悟った。
気がつけば桔梗の隣りの花が、色褪せて枯れていた。
それは先日まで橙と黒の毒々しい色彩を放っていた、芥子の花だった。
□ ■ □
「彼と私は限りなく同じに近かったからこそ、今では最も遠い存在になってしまったのでしょう。」
長い述懐を終え、節目がちに卯ノ花は手元の飲み終えた湯のみを見つめる
「いえ私が仮に男であったら、もしかしたら彼と同じ道を歩いていたのかもしれません。彼と私が歩んだ道の違いは、男であったか、女であったか、ただそれだけの違いだった気もするのですよ」
勇音は戸惑っていた。自分のことをこんなにも語る上司だっただろうか。目の前の温雅な上司と、彼女の語った激しい情動を秘めた過去は符号しない。初めて知った上官の過去は勇音のキャパシティを遥かに越えてる。回らない頭で勇音は問う。
「…では、この手紙は藍染た――元隊長から卯ノ花隊長への恋文なのでしょうか?」
言ったあと、とんでもなく不躾な事を聞いてしまったと悔いる。ここまで話してくれた上官の内部なまだ入ろうとするのか。
「いいえ」
副官の焦りと関係なく、いつものように柔らかく答える。
「その逆、といった所でしょうか」
「その逆…?」
「中を見ても良いですよ。勇音。」
「えっ…!そっそんな!!!」
「私は貴方だから話したのです。だから貴方なら見ても良いですよ。私はこれを片してきますから」
めっそうもない。慌てて立ち上がろうとした勇音を手で止めて、卯ノ花はさっさと盆を持って歩いていってしまう。その背中に勇音は最後の質問を投げかける。副官として、それだけは知っておかなければならかった。
「卯ノ花隊長!隊長は藍染隊長を――止めたいですか。彼が目の前にしたら、迷わず彼を手にかけますか?」
卯ノ花はゆっくり振り返る。その何気ない動作一つも、女性らしくたおやかで完成されている。
こんな時なのに勇音は思わず憧れてしまう。
彼女の上官は白百合の微笑を浮かべる。
「いいえ。それはきっと私の役目ではありません。私と彼はもはや遠すぎる…」
交錯した線は離れるだけ、二度と交わることは無い――
パタンと閉じられた扉を見て、そろそろと手元の封筒に視線を移す。
しばらく無言の時を過ごし、意を決して封筒から便箋をとりだす
真っ白な便箋には
中央にただ一言「さようなら」と書かれていた。
end